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ゆとり教育でお受験加熱?


首都圏一都三県における2007年度中学受験が5万人を超え、過去最高となったとのこと。公立に見切りをつける保護者が激増していることがうかがえます。

その理由の最たるものはもちろん「ゆとり教育」にあると思われます。あの教科書の薄さは尋常ではありません。本当にこのまま公立にやっていて大丈夫なのか?と親が不安に思うのは無理からぬ事です。

先日、ラジオの朝の報道番組で「ゆとり教育」で学力が落ちているとは一概に言えない、問題があるのは読解力だけ・・・という話をスタジオに学者を招いて放送していました。その根拠の一つに国際的に評価の高いフィンランドの義務教育では日本より授業時間数が少ない・・・ということを挙げていたのです。

一見、説得力があるような話ですが、子を持つ親にとってはとても「はいそうですか。」とは言えないですね。

そもそも本当にフィンランドが少ない授業時間で成功しているのかどうかは、その先の大学教育、社会全体の生産性も含めて、もっと総合的に評価したいところですが、我々には良く分かりません。

そんなことより、今まさに保護者が直面している問題は、学習内容が3割以上も減らされた状態で、将来の大学入試において、私立のライバルに伍して戦えるのか、という一点です。公立私立問わず、学習内容が大幅に減って、大学入試の内容もそれに合わせて出題されるなら、まだしも、そんなことはあり得ません。

私立ではハイレベルなカリキュラムを提供している現実を考えれば、保護者が私立志向を強めるのも当然ですし、正しい判断といえます。

文科省の官僚や自民党の文教族あたりはいまだに「ゆとり教育」が失敗だったとは認めたくないようですが、私達保護者から見れば明らかに大失敗です。

公立と私立の教育サービスに大きな格差を生ぜしめ、経済力の格差がそのまま学力の格差につながるような前近代的な時代錯誤を生み出した罪は大きいと言わねばなりません。

それでも高校レベルでは一部の公立進学校が高い進学実績を挙げていますが、それは伝統とそれ相応の努力の結果なんです。土曜日に希望者を集めて演習講座を開講したり、校内校外を問わず、実力試験を適切に実施したり、生徒のニーズをよく捉えて、努力をしています。

現状ではそうした公立トップ校を目指す以外に公立コースでは大学受験に対応できないのですが、それすら学習塾なしでは難しい現実を文科省は重く受け止めるべきでしょう。


中学でも履修漏れ

高校での必修科目の履修漏れが世間を騒がせていますが、とうとう中学でも履修漏れがあるという報道がありました。

「本当にどうなっているんだ。いい加減にしろ!」

と、学校現場を非難するのは簡単ですが、高校での履修漏れも含めて、この問題の背景には何があるのかをよく見極めないと、問題の根本は解決しないと思うのです。

マスコミなどでよく取り上げられているのは、受験偏重教育の弊害についてです。

先日も某局のラジオ報道番組で受験競争が益々激化していることが背景にある、と識者も交えて盛んに主張していました。大学進学率50%時代を迎え、偏差値至上主義がまかり通っていることが、大きな要因であるとの論旨です。

しかし、本当にそうでしょうか。

偏差値至上主義と言えば、一見よくないことのように思えますが、偏差値自体が悪いわけではありません。偏差値は受験生にとって貴重な統計上の数字です。目指す大学に合格するための客観的な指標であり、目標数字になり得るものです。

合否を学力試験の合計点で判定する以上、受験者の中でどのくらいの位置にあるのかを知る機会は必要不可欠です。これは受験生の権利と言えます。

偏差値を否定するということは、極論すれば学力試験自体を否定することにつながります。学力試験ではない他の判定方法を考案することは、オリンピックの競泳において、タイムではなく、個性的な泳ぎかどうかを採点して順位を決めるようなものです。全くナンセンスであり、誰も納得できないでしょう。

やはり、客観性のある判定方法でないと公平とは言えません。

それでは、一体何をどうすれば今回の履修漏れの問題を解決できるのでしょうか。

私は今回の履修漏れの問題の最も大きな背景は「ゆとり教育」による授業時間数の不足があると思います。週5日制によって授業時間が削減された上、総合学習や新しい必修科目が入ってきて、学校現場は「ゆとり」とは正反対の状況に陥っています。特に進学校においては大学受験に対応するために、大変なやり繰りを強いられているのです。

必修逃れ(履修漏れ)をやり始めた時期が、週5日制が完全導入された時期以降に集中している(全体の約80%)との新聞報道がこれを裏付けています。

あれこれと今の受験競争を批判する前に、学校週5日制を元の週6日制に戻し、全体の授業時間を増やすことが先決だと思います。その上で、必修科目の見直しや大学側の受験科目数の問題を考えるべきでしょう。

今こそ「ゆとり教育」による歪を正し、本当の意味での「ゆとり」を学校現場にもたらして欲しいと思います。



国旗・国歌訴訟で喜ぶ心得違いな教師達

東京地裁が都立高校の教職員などが起こした国旗国歌訴訟で違憲判決が出ました。

卒業式などの式典で「国歌斉唱の義務はない」との判決に原告の教職員たちが喜んでいる、というのですが、子供を預けている私達保護者にとってみれば、全く納得できない話です。

もちろん、保護者の中にも原告団と同じ考えの方々がおられるであろうことは承知していますが、国民の多数が日の丸や君が代について肯定していることは事実です。

そして、何より、式典において国旗に敬意をはらい、国歌を斉唱することは、最低限の礼儀です。

今回の判決でも、一方では、教職員は生徒に対し国旗国歌に対し、敬意をはらうことを指導するべきである、と言っています。

判決は、あくまで「内心の自由」を認めているのであって、それと同時に国旗国歌に反対することを生徒にあおってはならない、と明言しているのです。

今回の判決のおかしいところは、教師が国歌斉唱時に起立しないとしても、教育上、悪影響を及ぼすとまではいえない、としている点にあります。

ハッキリ言いましょう。生徒に対して大いに悪影響はあります。なぜ生徒に対して「起立しなさい」と指導すべき教師が自分だけ起立しないのか。生徒に混乱が起こることは間違いありません。この点において、今回の判決は重大な論理矛盾があります。

保護者や来賓に対しても全くもって失礼な振る舞いです。

これは、職場でのルールです。憲法が「内心の自由を保障している」こととは全く矛盾しません。プライベートな時間まで縛っているわけではないのです。

日の丸や君が代は先の侵略戦争を想起させるもので、軍国主義の象徴であり、受け入れ難いという人達がおられることは理解できますが、日の丸と君が代は長い日本の歴史と文化を背負っています。

過去の不幸な一時期だけを理由にして、完全否定することは多数の国民感情を無視するものではないでしょうか。

今回訴訟を起こした先生達に聞きたいものです。あなた方はお葬式に参列するのに、個人の自由だからといって、派手な洋服を着ていきますか?

それと同じことです。個人の主義主張はあるでしょうが、職場のルールは守るべき。それを無視すれば、あなた方が今度は生徒達に「ある種の考え」を「押し付ける」ことになるんです。

そう、あなた方がお嫌いな「押し付け」です。



学力の二極化は所得格差が要因か?

有識者らでつくる「日本の教育を考える10人委員会」が、2006年9月11日、「義務教育に関する国民アンケート調査」を発表しましたが、それによると、全体の6割強が「勉強が出来る子と出来ない子」の「学力二極化」が進んでいると答えました。

逆に「二極化は進んでいない」と答えたのはわずか5.2パーセント。

「二極化が進んでいる」と答えた人のうち、 66.4%が「所得の格差によって、子どもの学力に影響が出る」と回答しました。

このアンケートは20歳以上の男女約1万を対象に行ったとのことです。

アンケートですから、実際に所得格差が学力に影響が出ているのかどうかは、検証が必要かもしれませんが、塾や予備校にかかるお金を考えると、統計的にも相関関係があると見た方が自然かもしれません。というか、おそらくそうでしょうね。

でも、お金がないから最初からあきらめる、というのも考えものです。現にけっして裕福ではない家庭の子供でも「できる子」は存在します。

できるだけお金をかけずに、高校までは公立、そして、その先もできれば国立大学を目指す、ということを意識して、しっかり勉強すれば、高い学力を身につけることは十分可能です。

まあ、その「しっかり勉強する」というのが実は簡単ではないんですがね。そのあたりは親と子の情報収集力だと私は思っております。


中学受験は誰のため?

「お試し受験は慎重」にという記事が9月6日付け読売新聞にありました。

中学受験で力試しに受験することを「お試し受験」というらしいのですが、本命を受験する前に何校か受けて試験慣れすることと、押さえの学校を早めに合格しておきたい、ということが目的とのこと。

ところが、「押さえ」どころか、受ける中学が軒並み不合格となって、子供が自身を失う結果となり・・・、という親御さんの経験談は、同じ親として色々と考えさせられます。

お受験、特に中学受験は親子一体となって頑張る必要があるようですが、果たして子供は親が考えるほど中学受験を心から望んでいるのか? という素朴な疑問がわいてくるのは私だけでしょうか。

どうも親ばかりが熱くなって、子供は親に引きずられて、というか、親をガッカリさせたくないので頑張っているだけなんじゃないのか? という気がしてならないのです。

もし、そんな動機で子供が頑張っているとすれば、失敗したときのダメージは大きく、後々引きずることになりかねません。親を失望させた、と思ってしまうからです。

また、仮に合格できたとしても、動機が動機ですから、燃え尽き症候群になって、入学後に伸び悩むことも大いに考えられます。

もちろん、あくまで仮説ですから検証はその道の専門家に譲るしかありませんが、私としては、ある程度主体性が期待できる高校受験からのスタートで「難関大学合格レース」には十分間に合うと考えています。

中学受験がダメだと言うつもりはありませんが、子供のことを考えるなら、中学受験では(親として)あまり結果ばかりを求めず、ゆったりと構えていた方がいいように思いますが、いかがでしょう?

勉強は親のためではありませんからね・・・。


ゆとり教育の顛末

先日ラジオを聴いていたら、「ゆとり教育」の話をしていました。


どんな話かというと、



1.そもそも「ゆとり教育」はどこから出てきた話か?

2.文科省の役人は自分の子供を公立中学に入学させているのか?

3.子供達にとって本当に「ゆとり」ができたのか?

4.現場の教師は本当にゆとりをもてるようになったのか?


他にもいくつかありましたが、長くなりますので割愛します。


どうですか? 答えは大体予想がつくと思います。



順番に答えを書きますと、


1.日教組(悪名高き?教員の労働組合)から。

2.約半分が私立に通わせている。国立付属中学も多い。

3.正反対。ゆとりがない上に学習量も削減されている。

4.日教組の狙いとは裏腹に先生にゆとりはない。


子供のためといいながら、実は教師の労働条件に週休二日制を
導入することが目的だったらしい、ということです。


まあ、そんなことは皆お見通しだったと思います。


私の息子達が学齢期に入った頃から段階的に週五日制に移行しま
したから、実感できるんですが、当時から文科省の説明には全く
説得力がありませんでした。


無理やりこじつけたような説明だったからです。


皮肉な事に楽になるはずの先生も授業時間のやりくりに苦労して
ゆとりがなくなっている、というんですから、笑えない話です。


解決策は唯一つ。以前の週六日制に戻すことですが、この国の
役人は石頭ぞろいですからまず無理でしょうね。


えっ? こんな状況で小学生に英語を教える? 一体どこを削って
英語の時間を捻り出すんでしょうか。


 教育行政、迷走す… 先が思いやられます。



学校と塾どちらが優れている?

10月24日の読売新聞で、内閣府の実施したアンケート調査について、意味があるのか疑問に思うとの投書が寄せられていました。

そのアンケート調査というのは、「学力向上の面で学校と学習塾・予備校のどちらが優れているか」を親に訊いたら、7割までが「学習塾・予備校」と答えた、というもの。

投書された方は、
「そもそも学校と塾・予備校は全く別物で、学校は多種多様な子供を相手に教え、学力だけでなく、総合的な教育指導が求められている」
ことを主な根拠とし、比較することの意味に疑問を呈しておられたわけです。

確かに学校と塾・予備校とでは目標とするところが違うでしょう。その意味では単純に比較することはできないことも理解できます。

ただ、子供を預ける保護者の立場からすれば、この比較の意味は大いにあると私は思います。

何故なら、わが子の学力を向上させたいと思うのは親として自然な願いであり、子供を預けている以上、その1点では学校と塾・予備校は十分比較の対象になり得ます。

さらに、問題なのは、もし学校と塾・予備校は別物であるという理由で、学力向上のためのパフォーマンスに差があることを「止むを得ない」としてしまっては、教育の機会均等が失われるということです。

つまり、親の経済力によって子供の学力向上の機会が左右されることを黙認することになりはしないか?ということです。裕福な家庭の子供は有名進学塾に通えるが、お金がなければいくら素質があってもパフォーマンスの低い公教育しか受けられない、ということになります。

やはり、人格教育も行いながら、学力向上においても高いレベルを目指すことを目標として掲げてもらわないことには、保護者としては納得できないと思います。

例えば、学校間、教員間に厳しい競争原理を導入するとか、能力別学級編成にするとか、目に見える努力をして欲しいものです。

しかし、現実には既に「教育の機会不均等」が広がっています。個々が研究し、自己防衛をしていく時代になっているんです。

親の皆さん、特にお父さん、「子供の教育は妻に任せている・・・」では後々後悔しますゾ・・・。

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